「烏帽子岳観音堂稚児落とし宝篋印塔」は猛嶋神社-福壽寺-烏帽子岳観音堂-烏帽子岳城のほば一直線上にある岩峰の突端にあり、江戸期ころまで「楢山節幸」の子供版のようなしきたりが当時の貧乏村にあた、しかし実態は村長の陣屋折衝尽力や村人の努力で山の斜面や谷の奥まで開墾されて生活には大きな問題はなく「秘密の戒め?」であったが「烏帽子岳観音堂稚児落としに宝篋印塔」を設置して対外的には説明されてたと言われている。
烏帽子岳観音薬師堂は烏帽子嶽観音堂六郷満山30番礼所である。
猛嶋神社の西北にそびえる岳山(烏帽子岳)の八合目付近の薬師堂(享保5年・1720庚子村内庄屋が再興とあり)、で十一面観音菩薩が祀られていたが昭和30年ころ盗難にあい現存しない。盗難を逃れた仏像の一部は山麓の福壽寺に祀られてる。
稚児落としの宝篋印塔(享保5年・1720建立)と共に地域信仰の一つ。
近年まで村民が集まり堂内で災いや日照りなどがあると百万遍(大数珠)で祈祷していた。
(浄土宗大本山百萬遍知恩寺大念珠繰りで有名であるものと同じ)
烏帽子岳城の東南100m程下った所からの大観峰です、「六郷満山時代は貝吹岩、大友時代は狼煙岩」と呼ばれていた岩からの田染の荘小崎と横峯方面、国東半島の山々を望む所、右側の岩峰は菊山連峰の一部です。
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