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「烏帽子岳観音堂稚児落とし宝篋印塔」は猛嶋神社-福壽寺-烏帽子岳観音堂-烏帽子岳城のほば一直線上にある岩峰の突端にあり、江戸期ころまで「楢山節幸」の子供版のようなしきたりが当時の貧乏村にあた、しかし実態は村長の陣屋折衝尽力や村人の努力で山の斜面や谷の奥まで開墾されて生活には大きな問題はなく「秘密の戒め?」であったが「烏帽子岳観音堂稚児落としに宝篋印塔」を設置して対外的には説明されてたと言われている。
烏帽子岳城の東南100m程下った所からの大観峰です、「六郷満山時代は貝吹岩、大友時代は狼煙岩」と呼ばれていた岩からの田染の荘小崎と横峯方面、国東半島の山々を望む所、右側の岩峰は菊山連峰の一部です。
烏帽子岳8合目付近の六郷満山30番札所薬師観音堂跡前の通称稚児落とし岩から見た遠景です。由布岳、鶴見岳、別府湾そして左方には菊山連峰を望めます。
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