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烏帽子岳城跡(三角点)は陽平集落の西背後に聳える標高493.8mの烏帽子岳山頂に築かれていた。三角点のある南西側が主郭、北東下にある広い空間が二郭であるが、小さな段差がある程度である。 崖となっている南側の切り立った岩峰部を除く周囲には畝状竪堀群が張り巡らされており『大分の中世城館』によればその数は54条でありほぼ全容が残っていて国内では開発されてない珍しい中世の山城跡であると言われている。現状は雑木林となっていて一部を除き展望はきかない。
巨石の一つ東側虎口付近にある高さ約3mと1.5mと5m程の平岩を含んだ「夫婦岩」です。 烏帽子岳城の急峻な南東岩峰群除き低い土塁のついた帯曲輪のような54条の畝状竪堀群が北東端の虎口まで続きそれは部分的には石も利用した形にもなっている。 この他にも大小様々な巨岩が帯状に山頂を囲み並んでいます。
「烏帽子岳観音堂稚児落とし宝篋印塔」は猛嶋神社-福壽寺-烏帽子岳観音堂-烏帽子岳城のほば一直線上にある岩峰の突端にあり、江戸期ころまで「楢山節幸」の子供版のようなしきたりが当時の貧乏村にあた、しかし実態は村長の陣屋折衝尽力や村人の努力で山の斜面や谷の奥まで開墾されて生活には大きな問題はなく「秘密の戒め?」であったが「烏帽子岳観音堂稚児落としに宝篋印塔」を設置して対外的には説明されてたと言われている。
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